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<<   作成日時 : 2011/08/30 20:57   >>

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1990年代といえば、自分にとっていろいろあった年代である。

1990年:
 学生生活をストレートで終えた自分は、会社に就職することとなった。当時はバブル絶頂期であり、就職も青田買いで、求人率も大変良かった。
 自分としては、セイコーエプソンに入社したかったが、大学からの推薦枠で日本電気ホームエレクトロニクスに入社した。

 自分の大学における専攻は「情報工学科」であった。当時はソフトウェアは大の苦手で、できればハードウェアの部署に所属を希望していたが、実際に所属されたのはソフトウェア技術部であった。
 ソフトウェアが苦手な人間が、ソフトウェア開発部門で仕事をしていくのは大変で、他の同期入社の同僚がどんどん仕事を任されていくのに対し、自分といえばテストプログラムをアセンブラ(MASM)で組むことだった。もちろん、ソフトウェアなんてほとんどまともに勉強したわけではないので、悪戦苦闘し結局その頼まれたテストプログラムも満足に完成させることができず、ひとまず終了となった。
 当時のソフトウェア技術部はPCとWPのソフトウェア開発をしており、自分はPC向けの部隊に所属していた。しかし、「使い物にならない」自分は、ヘルプとしてWPソフトウェアの評価業務をアサインされた。ここでそれなりに役に立てたかと思っていた。

 そして一年後・・・。

1991〜1999年:
 あれは定期人事異動とは異なる夏のことだったと記憶している。
 部長に呼ばれ「信頼性品質管理部に行ってくれ」と言われた。これを聞いて目の前が真っ暗になった。いわば「左遷」である。
 当時、品質管理部は「真貧寒」と揶揄され、開発部門からは忌み嫌われている部署であった。そんなところへ異動させられるのは大変ショックであり、家で夜な夜な枕を涙で濡らした。
 異動してから自分の人生が狂い始めた・・・そう思っている。
 なんだかんだで、品質管理部に異動して、仕事をこなしていった。残業・早出・土日出勤当たり前の生活を送ることとなり、この間の給料はうなぎのぼりであった。あまりの多忙で使う暇がないので銀行口座には当時500万近くは入っていたと思う。

 そんな8年間を過ごしなぜか突然ヒマになった。というのも評価担当予定だった新機種が開発中止となり、やることがまったくなくなってしまったのである。それが1999年の秋だったと思う。

1999年:
 そうしてヒマな毎日を過ごしていたところ、課長に呼ばれた。「NECに出向してくれ」と・・・。寝耳に水であった。
 突然の異動命令に戸惑った。普通であれば「本社への栄転」となるが、自分としては何か納得がいかなかった。
 「ちょうどヒマにしているから異動させてしまえ」・・・そんな勘ぐりをしてしまう自分であった。
 そして部長から詳細を聞かされる。「NECの新規立ち上げ部署の人員補充である」ということを・・・。

 そして10月だったと思う。NECへの第一歩を踏み込んだ。
 そしてこれが、本当に後の人生を狂わされた異動であった。

 −続く − 

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